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ネパールのチベット難民について
中国共産党によるチベット併合後、多くのチベット人が難民としてネパールやインドに移住しました。このページでは、ネパールに暮らすチベット難民の現状や課題、そしてTCP設立の理由について詳しくご紹介します。彼らの状況を知り、未来を共に支える一歩を踏み出してみませんか?
チベットってどんな国?
チベットはアジア中央に位置する広大な地域で、現在の地図上では、中国のチベット自治区、青海省、甘粛省南部、四川省西部、雲南省北西部、そしてブータン、インド・シッキム、ネパール北部、インド北西部、パキスタン東北部にまで広がるエリアを含みます。チベットはネパールの北隣に位置し、ヒマラヤ山脈が連なり、世界最高峰であるエベレストをはじめとする雄大な自然に囲まれた地域です。
中国チベット自治区の人口の約8割はチベット族で構成されており、その多くはチベット仏教を信仰しています。中国の憲法上では信教の自由が認められることになってはいますが、現実には中国共産党による強い弾圧が今も続いています。
参照:
・チベットについて – Tibet House Japan
・チベットは中国の領土ではない! (teikoku-denmo.jp)
なぜチベット難民はネパールにやってくるのか?
1949年に中華人民共和国を建国した中国共産党は、事実上は強奪とも言えるチベットの併合を進め、1959年には「チベット動乱」が起こりました。この動乱により、中国政府は暴力的な弾圧を加えるとともに、さらなる統制を強化しました。チベット人の心のよりどこであるダライ・ラマ法王14世はインドへ亡命し、亡命政府を樹立しました。その後もダライ・ラマ法王14世は「高度な自治」を求め続けていますが、中国政府はこれを「国家分裂を図る行為」として非難し、一切認めていません。
この弾圧は現在も続いており、2008年には、チベットで大規模な暴動が発生し、暴力的な弾圧や締め付けはさらに強化されました。2009年以降は中国政府への抗議として焼身自殺による抵抗が相次いでいます。このような厳しい状況の中、多くのチベット人が自由と平和を求めて、ネパールやインドへの亡命を余儀なくされています。
インドをめざすチベット難民の困難な現実
2008年にチベットで起きた大規模な暴動の後、中国政府は治安体制を一層強化しました。その結果、越境はさらに困難となりましたが、それでもなお、年間平均200人のチベット人が自由を求めて命がけで亡命を試みています。彼らの目的地は、ダライ・ラマ法王14世が樹立したチベット亡命政府があるインドのダラムサラです。
では、なぜ多くのチベット難民は直接インドへ向かうのではなく、まずネパールへと逃れるのでしょうか?その理由は、チベット、ネパール、インドの地理的な位置関係と、それらを隔てるヒマラヤ山脈の存在にあります。
チベットから直接インドへ逃れるルートは、非常に標高が高く、またその道のりは過酷な環境のため、越境が極めて困難です。一方で、チベットからネパールへ向かうルートも決して簡単ではありませんが、比較的安全とされ、無事に亡命できる可能性が高いとされています。
このような背景から、多くのチベット難民はまず一旦ネパールへと逃れ、そこでチベット亡命政府による難民認定を受けてから、インドのダラムサラへ向かうのが一般的となっています。
ヒマラヤを越えて亡命を試みるチベット難民の約半数は子どもたちです。彼らの両親は、「わが子にだけは、チベット人としての教育と自由を」という強い願いを胸に、少なからぬ金額を越境業者に支払い、子どもたちを送り出します。
しかし、その道のりには数多くの危険が待ち受けています。厳しい寒さの中、凍傷により手足の指を失う人や命を落とす人も少なくありません。越境中に中国警察に見つかり、捕らえられた場合には、思想教育の施設に送られ、自由を奪われることもあります。
それほどの危険を冒してなお、年間数百人のチベット人が中国から逃れてくるのです。
ネパールにおけるチベット難民の暮らし
ネパールには現在、約20,000人のチベット難民が暮らしており、大小合わせて約2,000の難民コロニーが点在しています。これらのコロニーの多くは、ヒマラヤ山岳地帯(ムスタン、ドルポ、フムラ、ジュムラ、ランタン、ドルカなど)に位置しています。
チベット難民はネパール政府のもとで最低限の安全は保障されていますが、何十年もネパールに住み続けていても正式な身分証明書が発行されません。このため、外国への渡航、商業活動、運転免許の取得、学校への通学、銀行口座の開設といった基本的な活動が大きく制限されています。さらに、ネパールで生まれ育った多くのチベット人に対しても、法的にその存在が認められていない状況が続いています。一切の身分証明書が発行されないことは、難民が直面する重大な問題のひとつです。
こうした厳しい制約の中で、チベット難民たちはわずかなチベット亡命政府からの援助や、内職、小さな畑を耕すことで生計を立てています。制限の多い環境にもかかわらず、彼らは日々の生活を懸命に支え合いながら生き抜いています。
TCPがネパールで活動をする理由と経緯
TCPは支援活動の拠点をネパールのカトマンズに置いています。「チベット人を支援するのになぜチベット本土やインドではないのか?」という疑問があるかもしれません。その理由は、TCPの前身であるミンドゥリン・プロジェクトの10年間にわたる活動の中で、現時点で最も合理的で効果的な支援が可能な場所はネパールだと判断されたからです。
ミンドゥリン・プロジェクトは1998年から2008年までの間、チベット本土の中国青海省に3つの学校と3つの診療所を建設し、運営してきました。しかし、これらの施設のうち2校の学校と2つの診療所が、2008年4月までに中国政府によって強制的に接収されてしまいました。
さらに、中国政府はチベット本土の美しい自然と土地を国定公園として指定し、住民への配慮なく突然フェンスで囲うなどしてチベット人を強制的に土地から追い出しています。このような状況のなか、これ以上のチベット本土への直接支援が効果的かどうかを検討した結果、支援の拠点をネパールに移し、チベット難民の新しいニーズに対応した支援の枠作りに尽力することにしました。
チベット本土からの支援撤退は、私たちにとって苦渋の決断でした。しかし、私たちの支援の目的を見失わないためには、現実に適応しながら柔軟に対応することが必要です。「誰のための支援なのか」「何を目的とするのか」それに対して私たちがもっとも効果的に参画できる手段は何なのかを常に問い続けながら、厳しい現実を前に、柔軟に形を変えてしなやかに粘り強くチベット人とその文化を応援して行きたい…これらがTCPがネパールで支援を展開する理由です。
TCPは現地の状況に応じた柔軟な支援を通じて、彼らが自立し未来に向かって歩める環境を築くサポートをしています。この取り組みをさらに広げていくために、あなたのお力をお貸しいただけますと幸いです。